……ダレ?
あまり変わっていないと言えなくもない・・・
アイちゃん3歳の頃ですね。
実家には、わたしが中学生の時に友だちから託された三毛猫の「キャロル」がいました。

生まれた時から家に猫さんがいたアイちゃん。
こんなブレブレのボケボケですが、5年生の時に一時うちにいた兄弟猫。
「アーズィ」と「ミルキー」
ふたりとも、とっても綺麗なキジトラでした。仲良し仲良し。

5年生のアイちゃんの膝の上にミルキー。
今と同じような顔なので、ちょっとぼかしました。

子猫を抱っこして嬉しそうなアイちゃん。
けろっぴも好きでした。

楽しいときも嬉しいときも、寂しいときも悲しいときも、
いつもアイちゃんのそばには猫さんがいてくれたね。
叱られて泣いたとき、アズィくんの背中で涙を拭いて。
靴箱の上で、学校から帰ってくるのを待っててくれたジャミラ。
ポニーテールにじゃれてたまるたん。
そして今は、優しいヲルたんと銀。
猫さんに教えてもらったことは、数え切れないくらい。

銀、甘えて埋もれてるね。
ちょっと不名誉なカットだったかな・・・。

なんでもっとクールな俺を使わないのさ!?
銀ヲルの写真以外は、言うまでもなくネガからプリントしたものです。
これはずいぶん粒子が粗いけど、
こうしてみるとやっぱりフィルムはいいな・・・。
プリントを手にとって、家族と一緒に眺める。
みんなでアルバムを覗き込む。
それは、デジカメのデータを見るのとは全然違うような気がします。
デジカメは、とっても便利です。
撮ったものをその場で確認できて、失敗ならすぐに削除できる。
大量の画像も、あんな小さなカードに保存できてしまう。
でも、便利なぶん、なにかが足りない気がします。
シャッターを撃つときも、フィルムカメラとデジカメとでは
想いの込め方・その重みが違います。
3/11の大震災後、瓦礫や泥の下から出てきた写真アルバムを
自衛隊の方たちが丁寧に救い出して、泥を拭い、乾かして、
誰かが探しに来た時に見つけやすいようにと置いてくれたそうです。
それがSDカードなら、泥に埋もれたりましてや割れてしまえば
それでお終いです。
紙焼きして手に取れる形になって、
はじめて「写真」と呼べるのだと、そんな気がします。
でも、こうしてブログにアップする画像をフィルムで撮るなんて
現実として無理です。
銀ヲルも、フィルムで撮ったことなんてほんの少し・・・。
ひいおじいちゃんたちが写っているような昔のアルバムを見ると、
何か正座したいような気持ちになりませんか?
と言っても、若い世代ではデジタルしか知らないような人たちも
いっぱいいるんだろうな。
どっちがいい・・・ということではなく、
それぞれを使い分けることができればいいんですよね。
紙焼き写真に残されている、今はもういない人の姿。
デジタルだけになったとき、その存在感は同じなのかな・・・?
それともただのノスタルジー?
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いまだに寝顔は二歳当時のままです(笑)
昨日のよこにゃんの写真も、とっても可愛かったですよ♪
またさっきも見ちゃった(^・^)
写真は、やっぱり紙焼きですね。
家庭用のインクジェットプリンタで出力(この出力という言い方もイヤっ)したものは、
濡れるとインクが滲んでしまうし、保存には不安があります。
データをラボでプリントしたものは、果たして何十年くらいキレイな状態を保ってくれるのか・・・
曾祖母の写真など、うちには明治時代に撮られたものも残っていますが、(百年以上前ですよ)
街の写真屋さんが丁寧に手焼きしてくれたものは、
今でもくっきり綺麗に質感が再現されています。
そうなんですよね、デジタルは「画像」。やっぱりちょっと味気ないです。
フィルムで撮る写真は、今では特別なものみたいになりつつありますね。
便利さもそうですが、やっぱりコストがかからないところが魅力なんでしょうね~。